カテゴリー「雑記」の5件の記事

2011年12月20日 (火)

年末年始、いつ休みなの?

中国の大学では、まもなく期末試験を迎えます。
今学期は12月最終週にテストをする学年が多いです。

テストをするときに考えなくてはならないのが、試験日程
今回は年末年始と重なり、年末年始休みがあるため、ちょっと厄介です。

一番厄介なのは、年末年始、いつ休みなのか、ということ。

中国では旧正月(2012年は1月23日)を祝いますから、
年末年始はほとんど休みません。
でも元日のあたりの3日間は休むようです。

ではどの3日間なのか。

まず考えられるのが、1月1日、2日、3日の3日間。
正月明け3日休むという感じです。

それから、12月31日、1月1日、2日の3日間。
正月を挟んで、という感じです。

もともと3日に試験をしようと思っていたのですが、
もし休みのパターンが前者だと、12月31日の土曜日に試験をしなければなりません。
後者のパターンだと3日に試験をすることになります。


問題は、このどちらなのか誰も知らないということ。

学生に聞いても、ほかの中国人の同僚に聞いても、主任に聞いても、誰も知らない。
ある先生は31日が休みだというし、別の先生は3日が休みだという。
ある学生は3日が休みだというし、他の学生は31日が休みだという。

学校のホームページにも、告知がない。

それで、どうすればいいの?(;O;)
なんで直前になってもわからないの(;O;)(;O;)(;O;)

今のところ、国の決まりに従って、3日が休みのようだという結論になっています。
が、いつこれがひっくり返るかと思うと。


やきもきするより、郷に入っては郷に従えだな、と思う次第であります。

2011年12月12日 (月)

もやもやの訳。

おひさしぶりです。
最近ほとんどブログが書けず、またリアルでもなんとなく閃かない日々が続いておりました。

今回はそのもやもやの訳を探って、すっきりしてみようというわけです。


まず、第1のもやもやは試験準備。
試験なんて作ったこともないのに、試験を作るというのはなかなか厳しいです。
今まで授業で扱ったことと応用のバランスとか、
どんな問題を出したら学生がどのくらいの点をとるかとか、
時間配分との兼ね合いとか、
考えるだけでむむむ…(;´Д`A ``` となります。
今まで中高や大学で試験を作ってくださった先生方に心から感謝と尊敬の念が湧きました…

第2のもやもやは、何もできていない感
毎日授業準備に追われ、何かをしたり考えたりすることがほとんどできていないのです。
時間を探して閩南語やったり韓国語やったりしてますが、どうにもすっきりしない。
それに加えて、時間があるなら翌々日の授業準備もすればいいのに、それもしない。


…うーん、書いてみてもすっきりしないなあ。
でも、書いていて思ったのは、停滞期があるから躍進できる時期もあるのだろうなあということ。
今はじっくりやることができていればOKなのかもしれません。
あるいは、ちょっと気分転換の方法を探さなきゃだめかもしれませんね。


でも、学習者とおしゃべりをするのはとても楽しいです。
特に、日本語がまだうまくない学生が一生懸命悩みを相談してきたり
話しかけようとしてきたりしてくれるのには、いつも身が引き締まります。


明日あたり、ふらっと出かけてきて、おいしいお茶でも買ってこようかな。

2011年11月26日 (土)

日本語教師3ヶ月を振り返って

日本語教師になってから3ヶ月が経ちました。
大学院を修了してから働き始めたばかりなので、社会人になって3ヶ月といってもいいのですけれど、
やっぱり、日本語教師になってから3ヶ月になりましたと言いたいです。

この3ヶ月間を振り返ってみると、なんか仕事したっけなあ、という気持ちになります。
とにかく授業考えてプリント用意してパワーポイント用意して授業して帰ってきて次の授業の準備をする…という繰り返し。
授業の課題点を振り返って反省を記録し、次回に活かす、ということがほとんどできませんでした。

90分をいかにやりすごすか、というのでは、授業とは言えませんよね。

それから、学生に「先生」扱いされることをあっさりと受け入れてしまっていることが恐ろしく感じられます。
わたしが「先生」だと知らないほかの中国の学生には「同学」と学生を呼ぶ呼び方で呼ばれます。
どこから見ても、学生にしか見えないのでしょう。それはわたしでも分かります。
それなのに、日本語科の学生はわたしのことを「先生」と呼ぶ。
それを、何の違和感もなく受け入れてしまっている。
考えてみれば、傲慢な態度のように思えてしまいます。


日本語教師の職についただけでは、「先生」とは言えません。
まわりのひとに「先生」と呼ばれることと、先生としてあることは、まったくの別問題。
では、「先生」とはなんなのか。
よりよい授業をすること、よりスマートな説明をすること、より学生の頭を使わせること、より日本語を学ぶことの意義を考えてもらうこと。

「日本語教師」ということばに秘められた意味は、日本語を教えながらもっと考えていきたいと思います。

2011年11月19日 (土)

自己紹介でもしてみます

まずは自己紹介でも。

中国のF省の大学で日本語を教えています。
担当科目は4年生の歴史、読解、翻訳、3年生の作文、会話、2年生の視聴説、1年生の発音です。
どれもこれも授業をするのでまだ精一杯です。
「これでいいのかな…」と不安を持ちながら授業しています。
もう少し「これだ!」とひらめくことがあってもいいようなものですが、なかなか難しいです。

大学の専攻は中国語でした。
なぜ中国語を専攻したかというと、高校の時に選択科目で中国語の授業があり、その先生に発音をほめられたからです。
それから、日本語教育にも興味があったので「わいは中国で日本語を教えるんや!」というわからない野望をいだき、「中国で日本語を教えるなら中国語が必要だ!」という選択になったのでした。

大学3年生のときには北京語言大学に留学しました。
思えば、このときの経験は、目指したい日本語教育にずいぶん影響を与えているかもしれません。

それから、高3から今までNPOの日本論文教育センターGlobeというところにもお世話になりました。
ここでずいぶん悪戦苦闘させていただきました。
もう一つの目指したい日本語教育はこっちの影響を受けています。
手伝える日が来るといいなあ。

大学院で日本語教育を専攻しました。修論は男ことば女ことばで書きました。
私自身「女の子なのにそんな乱暴な言葉づかいして!」と言われ続け、「なんで?」と疑問を持って成長してきました。
「そんなことはない、わたしはわたしらしくあるために、いわゆる男ことばを使うんだ!」と思ったのが修論の根本にあるかと思います。

仕事だけではなく、生きることについてもまだ手探り状態です。
そんなわたしですが、あれこれ考えていきたいと思います。
よろしくお願いします。

ブログをはじめてみます

こんにちは。くーみんです。
「日本語教育奮戦記@ちゃいな」という題でブログを始めてみることにしました。

今までブログはほとんど長続きしませんでした。
アクセスがめんどくさいのと、ミクシイのボイスやtwitterでちょっとつぶやけば満足してしまうからでした。
しかし、今回、ちょっと本腰入れてやってみようという気になったのは、
日本語教師としての活動を残しておくべきだと思ったからでした。

わたしは中国の某大学で日本語教師として働いております。
修士を出たばかりの日本語教師1年目です。
あれこれ試行錯誤の段階ですが、その試行錯誤を残しておくのも悪くないかなと思ったのです。

いろいろ慣れない点もあり、また中国国内のネット状況の関係もあり、
上手くいかないこともあるかもしれません。
何卒、みなさまいろいろご指導くださいませ。(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

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